悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (271)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百二十六

「違う!」「そんなことはない!」と否定してはみたものの、『もう一人の自分』の言い分にぼくは「そうかも‥知れない‥」と、どこかで納得しかけているところがあった。
ヤツの言葉は乱暴に聞こえるが、その実(じつ)冷静な観察眼に裏打ちされた様な説得力を持っていて、ぼくの心に一々(いちいち)が響いて来たのだ。だから、ただ感情的に騒ぎ立てているだけのぼくに対して、ヤツは最初から最後まで主導権を握り、支配的なポジションからぼくの欺瞞(ぎまん)を一つ一つ論(あげつら)うことによって、ぼくをすっかり追い詰めていったのだった。
ぼくはヤツのことを、『世の中で一番嫌な奴』『自分とは永遠に相容(あいい)れないタイプ』だと思った。

しかし、よくよく考えてみると‥‥ こんなに嫌な奴が『もう一人の自分』である理由が、だんだんと分かってきた。

振り返って見ればぼくには、物心(ものごころ)がついた子供の頃から、自分自身の癖(くせ)や性格の其処彼処(そこかしこ)に、『嫌い』な部分があったものだ。そういうものを自覚してしまった時など、じぶんは嫌な人間だと自己嫌悪に陥(おちい)ってしまったり、直さないといけないと思い悩んだり、最終的には忘れた振りを決め込んだりもしたものだが‥‥、成長して大人になっていくにつれ、取り立てて省(かえり)みるのも面倒になっていった。つまりは自己愛が勝(まさ)って、開き直ってしまったのだ。
もしかしたらヤツは、ぼくのそういう部分を全部集約し、『もう一人の自分として人格化してしまった存在』なのかも知れない。
ぼくが、ヤツの言葉を否定しながらも、結局のところ傾倒してしまうのもそのせいだ。


「おれはこれでも、おまえのためを思って口を出してるんだ‥」

何度目かの‥ヤツの恩着せがましい声が、ぼくの頭の中に聞こえた。
ヤツの存在に心当たりがあったぼくの精神状態は、幾分(いくぶん)落ち着きを取り戻していた。
しかしこれから先、聞きたくもない嫌な話をヤツからずけずけと聞かされる‥そんな予感めいたものがあった。

「ソラが旅立って‥ それを受け止めきれていないおまえの気持ちは‥理解できる‥‥」

そうら‥やっぱり始まった。一番聞きたくない、耳を塞(ふさ)ぎたくなる話だろう?

「受け止めきれないのは仕方がないが、おまえはそれをわざわざ‥全部背負い込もうとしてるんだろう」

ああ、良かった。これが頭の中だけで聞こえる声で。
ヤツにも、一応感謝しておこう。なぜなら、セナと、ヤツのコントロール下にあるぼくの体は、しっかりと手を繋いだまま、先の見通せない直線通路を、今も淡々と歩いている。この状態なら、ヤツがどんなことを口走ろうと、それに対してぼくがどんな無様(ぶざま)なリアクションをしようと、一切(いっさい)をセナに知られる心配はないからだ。
ヤツは続けた‥

「当然、背負い込もうとして背負いきれるもんじゃない。そんでもって、どうにかしようと踠(もが)いてるうちに、何をやっているのか‥どうしていいのやら‥分からなくなって‥‥‥ とうとうこんな気持ちの悪い世界を、創り出しちまったわけだろうが!」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (270)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百二十五

「 まったく‥ 呆(あき)れ果てたヤツだ‥‥ 」

「え?」
突然、声が聞こえた。ぼくは思わず首をあちこち動かして、声の主を捜してしまった。だが、ぼく達が今歩いている直線通路には、もちろんぼく達以外の誰の姿も見当たらなかった。
「どうかしたの? ヒカリさん」 セナが声を掛けてくる。
「‥‥‥いや‥ 間違いだ。気のせいだった‥‥みたいだ」 ぼくはセナに答えた。しかし、その言葉が終わるか終わらないかの内に、また声が聞こえた。

「 いつまで誤魔化(ごまか)し続ける‥つもりなんだい? 」

「うっ!」 ぼくは目を大きく見開いて、立ち止まっていた。
声は、ぼくの頭の中で響いた気がしたのだ。
「ヒカリさん?」 急に立ち止まったぼくに驚いてやはり足を止めたセナが、不審げにぼくを見た。

「なっ なんでもない。‥ごめん、進もう」 ぼくは飛び上がるほど驚いた。なぜなら、ぼくの口が勝手に動き、勝手に言葉を発していたからだ。
そしてさらには、ぼくの体全部が勝手に動き出し、元通りセナの手を引いて、何事も無かった様に歩き出したではないか!?
ぼくはパニックになった。顔をくしゃくしゃにして、何度も何度も絶叫していた。しかし実際は、そんなことは一ミリも起こらず、何食わぬ顔をして平然とセナと手を繋ぎ、前進を再開している自分がそこにいたのだった!!

「ふふ‥ 落ち着けよ。そんなに取り乱すほどのことじゃない」

再(ふたた)び、いや三度(みたび)声が聞こえた。やはり声は、ぼくの頭の中だけに響いていた。

「おれとおまえは一心同体。おまえはおれの存在などあまり顧(かえり)みることは無かっただろうが、おれはいつだっておまえと一緒にいたんだぜ‥‥」

やはりそうか!この声の主は例の『もう一人の自分』で、ぼくが恐れていたことが本当に起こってしまったのだ!
ああ‥ ぼくは『こいつ』に人格を乗っ取られてしまったらしい!

「おいおい、落ち着けって言ったろ。繰り返すが、おれとおまえはずっとひとつなんだ。おまえは今まででも、おまえの都合のいい時だけ、おれを平気で利用してきたじゃないか。それにそもそもおれとおまえの関係は、人格を乗っ取られただの、乗っ取られなかっただのと‥そういう単純明快(たんじゅんめいかい)な話ではないんだよ」

うるさい! 黙れ!黙れ! ぼくの体を返してくれ!!

「うるさいのはおまえの方だろうが! 本当はもう何もかも知っているくせに何を知らない振りをし続けてるんだよ? 何が‥今度頭痛が始まったら我慢して思い出してみる‥だ!よく言うぜ! そもそもあの頭痛自体は、おまえがおまえ自身を誤魔化すためにわざわざ創り出した、下手(へた)くそな口実みたいなもんじゃないか!!」

次回へ続く