第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百十四
ぼくは今ここに至るまで、『ヒトデナシ』の出現した場面には居合わせなかったし、遠目(とおめ)に『ヒトデナシ』の姿らしきものを目撃してさえもいない。
教頭先生がヒトデナシに襲われ、風太郎先生が他のみんなを護るために身を挺(てい)してヒトデナシと奮闘していた時、ぼくは芝生広場とその駐車場から離れていて、水崎先生の行方を突き止めるために彼女が残して行った血痕を辿って、草を搔き分けながら茂みの中を彷徨(さまよ)っていたわけだし、その後彷徨った末に行き着いた巨大迷路の廃墟でも、外壁に教頭先生の死体が吊るされるのを見て、それがヒトデナシによる仕業だと勝手に思い込んだだけで、外壁の向こう側にいた何者かの姿を実際に目で見て確認したわけではなかったのだ‥‥‥‥‥
「きみは芝生広場で‥、ヒトデナシを間近で見てるんだよね?」
「えっ ええ‥‥」
ぼくとセナは、前進を開始していた。巨大迷路廃墟の中を入口と反対の中心部に向かって、二人しっかり手を繋いで歩き出していた。
目的は『ヒトデナシ』を捜し出し、ヤツをどうにか退けて、ツジウラ ソノやみんなをこのハルサキ山から解放すること。そう再確認して歩を進めている。
「ヒトデナシは‥、ぼくの裁量(さいりょう)で何とか出来そうな‥相手かい?」ぼくは決意を崩(くず)さぬ様に前方を見据(みす)えたまま、セナに問いかける。
セナはすぐに困惑した表情を浮かべ、ぼくの視界とは違うどこか遠くを見遣(みや)った。
「‥‥確かに、間近で見たはずなんだけど‥‥ 気が動転してたのかな?よく覚えてないのよ‥‥‥」セナは言葉を濁(にご)した。
「やっぱりそうか‥」
「え?」
「フタハもミドリも‥、モリオもそうだった。みんな首を傾(かし)げるだけで、何も言えないんだ。本当に覚えてないのかも‥知れないな」
「‥‥‥ごめん」
「きみが謝ることじゃないさ。『ヒトデナシ』が、そういう『特別な存在』なのだろう‥」
「特別な‥存在?」
「ああ‥」ぼくは大人の動作で頷いた。そして少し間を置いてから、「‥‥ただ」とつけ加えていた。
ぼくは思い出したのだ。『ヒトデナシ』がどんなヤツだったか質問した時、いささか抽象的な表現ではあったが、懸命(けんめい)に答えてくれた子が一人いたことを‥‥‥‥
それは誰あろう、ツジウラ ソノだった。
彼女は『ヒトデナシ』のことを、確かこんな風に言ったのだ。
「体はすごく大きい‥‥おとなの男の人だった。でも、どんな顔してるとか、どんな服着てるとか、細かいところを見ようとすると、暗い陰の中を覗(のぞ)いているみたいになって‥‥何もかもが境目をなくしたみたいにはっきりしないの。私の感じたイメージを‥‥感じたまま‥‥正直に言ったなら、例えば‥‥例えばパレットに黒い絵の具を多めに出して、その後、茶色と緑の絵の具を出して‥‥そう、青も少し加えて、ぐるぐるっと荒っぽく筆でかき回して‥‥でも、まだまだ混ざりきってなくて‥‥。そんな、ただの黒ではない色をした『人の形(ひとのかたち)をしたもの』を見てるみたいな‥‥、感じかなあ‥‥‥‥‥」
次回へ続く