悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (257)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百十二

「うじょう‥しんな‥ ごぎたいば‥‥ うがべじ‥さぜぜ ぐ ぎだだぎまが‥じだ‥‥」
「ごぎゅぐごぐ‥ がぎばどうごじいばじだ‥‥ 」

幾(いく)種類かの『摩擦音』が抑揚を意識しながら組み合わされた、旋律的な連なりのような言葉?だった。
セナからの『若先生の情報』を念頭に置き、ノイズを除去するみたいに一言一言適切なものを当て嵌(は)めていくと‥‥、こういうことになる。
「お嬢 さんの‥ ご遺体は‥‥ お返し‥させて いただきま‥した‥‥」
「ご協力‥ ありがとうございました‥‥ 」


今まで『風太郎先生』だと信じていた男が、病院の『若先生』であった。彼は、小学二年生の子供の姿をしているぼくとセナが、娘『ソラ』の遺体を提供した両親であるという事実をちゃんと知っていた。知っていたからこそ、『あんな挨拶』をして行ったのだ。

「‥‥いつからだ?」ぼくは誰に問いかけるでもなく言った。「いつからこう‥なった?」
風太郎先生は、最初から若先生の外見をしていたのかも知れないが、体がバラバラになって死んで‥、元通り(?)に生き返ってから、中身まで若先生になったのか?
だったら‥生き返った風太郎先生が道案内をして、ここ『巨大迷路の廃墟』まで『ツジウラ ソノ』を連れて来た行為に、意味が生まれて来る気がした。
ぼく達がその二人を追ってこの廃墟に侵入した時、最初に出くわした『読経(どきょう)が流れる暗闇の異空間』。通夜を経て、やがて葬儀が行われるのだろうという『暗示めいた体験』だった‥‥‥‥‥‥
「‥空(から)の棺(ひつぎ)に遺体が収まってこそ‥‥、葬儀が執(と)り行える」
「え? どういう意味?」 黙って傍らで聞いていたセナが、さすがに質問する。
「あっ ああ‥‥ 風太郎先生ではなくなった若先生が、去り際(ぎわ)に言ったことが本当に、『ソラの遺体を返した時のお礼の言葉』だったとしたら‥‥‥‥‥ 」
「‥だったん‥なら?」セナが身を乗り出す。思わず目を輝かしてぼくを見つめてくるセナを、ぼくも真っすぐ見つめ返していた。そして言った。
「返された遺体はやっぱり‥‥、『ツジウラ ソノ』だったんじゃないかと、思ったんだ」
「えっ?」セナの目が真ん丸になった。かまわずぼくは続け、一気に捲(まく)し立てた。
「この巨大迷路の廃墟の中で誰かが‥‥、葬儀を行おうと待っているんだという‥気配がする。だからツジウラ ソノはここに連れて来られ、通夜の間(あいだ)ずっと空(から)だった棺(ひつぎ)の中に収められたのかも知れない。そしてもし、行われる葬儀が『ソラのもの』だったとしたら、ツジウラ ソノがやっぱり『ソラ』だった、ということに、なりはしないかい?!」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (256)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百十一

小学校のクラスメートであり、今の妻であるセナは、ぼくよりも記憶力が優れているのは確かだ。
セナは幼い頃から、周りの物事への独自で独特のこだわりを持っていて、その『こだわり』ゆえの観察眼 観察力には、たびたび舌を巻いた。だから彼女の小学校時代の記憶と言えども、信憑性(しんぴょうせい)はあるはずだ。
ところがぼくはと言うと‥ 実際、小学生の頃の担任の先生の顔など、『思い出せているのか思い出せないのかも分からない』漠然としたものだったし、それを確認できる古いアルバムには、勿論当時の集合写真や行事 イベントのスナップ写真は残っているだろうが、ページを最後に開いたのはいつだったのかも思い出せない。

「本当に風太郎先生は、最初から若先生の顔をしてたんだね?」 ぼくはセナに間違いないか確認した。
池ノ端南(いけのはたみなみ)病院の若先生は前院長の次兄で、『若先生』と言っても三十路は超えていて、院内の循環器内科にいた。
「ええ‥ 他の先生方もみんな、最初から顔が違ってた」セナは答えた。「‥でも、仰(おっしゃ)ってたことや為(な)さってたことは、当時の小学校の先生方のそれと変わらない気がする‥‥‥」
ぼくは、外見が『小学二年生のままのセナ』と、内面の『大人のセナが繰り出す適切な敬語』とのギャップにかなり気を取られながらも、「‥‥またさっきの嫌なことを思い出させるかも‥‥知れないけど」と前置きして、まだ震えが完全に治まっていないセナに次の質問を用意していた。

「若先生の顔をした風太郎先生は何か喋ってたけど‥‥、ぼくには皆目(かいもく)聞き取れなかったんだ。ただ‥、君が気を失ってしまってから、先生が去って行く別れ際に口にした一言だけは、ぼくには『あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・し・た・・・・』と、感謝の言葉に聞こえたんだ‥‥‥」
ぼくの言葉に、震えながらもセナが興味を示したのが分かった。ぼくは続けた。
「君は、彼の喋った言葉の中に、聞き取れたところは‥なかったかい?」

「‥‥‥‥‥‥‥‥」記憶に思いを巡らす様にしばらく間を置いてから、セナは口を開いた。「仰っていたことは、私にも上手く聞き取れなかったけど‥‥、『若先生の言葉』だと思って聞いていたからたぶん‥‥‥‥」
「‥‥たぶん?」 ぼくは、思わず先を促(うなが)した。
「たぶん‥‥『ソラの献体(けんたい)』のことを仰ってた気がする‥。『ありがとうございました』は私たちへの、協力へお礼だったのかも‥‥知れない」
「なっ 何だって?!」

「だって、ソラの『病理解剖(びょうりかいぼう)』は、臨床医(りんしょうい)だった若先生が指揮をお執(と)りになった‥はずだもの」

次回へ続く