第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その九十五
「アラタ!? 大丈夫なのか??」
左腕(ひだりうで)が切断された状態で大量の血を流している人間に向かって、「大丈夫なのか?」と言う問いかけもおかしなものだが、ぼくはアラタのただならぬ様子に仰天してしまって、思わず仕切り壁の曲がり角から身を乗り出しそして躍(おど)り出て、気がつけば彼にそんな言葉を投げ掛けていた。
「アラタ?くん?? なの!?」高木セナもやはり驚きながら曲がり角からこちらに姿を現し、ぼくの背後から声を掛けていた。そして、瞬(まばた)きを三回して、アラタの全身を染めあげている血の凄惨さに改めて目を奪われ、「ひっ」と息を呑んでぼくの背中にしがみついてきた。
巨大迷路のとある一本の通路、ぼくと高木セナは2メートルの距離をおいて、ただならぬ様相のアラタと対面する形となったのだ。
「アラ‥タ?‥」
アラタの視線は、明らかにぼく達二人を捉(とら)えていた。しかし彼は何の反応も示さなかった。ただ、力なく、ゆらゆら揺れる様に立っている。右手に、自分の体から離れてしまった‥左腕(ひだりうで)を握ったままで‥‥‥‥
「アラ‥タ‥‥」ぼくはもう一度呼びかけてみる。しかし、やはり反応がないのは同じだった。
アラタの顔にはすっかり色がなかった。目は虚ろに澱(よど)んでいて、口は締(しま)りを失ってだらしなく開いている。タキとつるんで騒いでいる時の快活で抜け目のなさそうなあの表情は、今のアラタからは微塵も窺(うかが)えない。
「早く! 早く手当しないと! あんなんじゃ アラタくん死んじゃうよう!」高木セナが震える声で、ぼくの背中に訴えた。ぼくもそう思ったし、もう手遅れかも知れないとも思った。
「アラタ‥ とにかくもう動かない方がいい。君は大怪我をしてるじゃないか‥」ぼくは、アラタにこれ以上動き回って出血させない様、その場で体を休めることを勧めた。
「‥ ‥ ‥‥・・・ ・・‥ ‥」
その時、僅(わず)かにだが、アラタの表情に変化が生じた気がした。口元が微妙に歪(ゆが)み、まるで笑ったみたいに見えたのだ。
と、次の瞬間、アラタは彼の左側にある仕切り壁に向き直り、自らの左腕を握りしめた右手を大きく振りかざした。
トン‥‥ トン‥ トン‥
「え?!」 ぼくと高木セナは驚き、目の前のアラタの突然の『行動』に、目を見張った。
彼が始めたのは‥‥、右手に握っている左腕のその断面の側(がわ)を壁面に向け、叩(たた)く様にして壁のあちこちに押し付けていったのだ。
そうして仕切り壁には‥ 彼の左腕の断面から染み出し付着していた真っ赤な血の『歪(いびつ)な丸い印(しるし)』が、 ひとつ‥ ふたつ‥ みっつと‥‥ しるされていった。
次回へ続く