悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (203)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その八十八

「何なの?! これ?! お化け屋敷の飾り付け???」
そんな訳の分からないことを唸(うな)りながら、声の主(ぬし)がぼくの伏せている場所の後方から近づいて来る。ぼくは、それが誰だかすぐに分かった気がしたが、声を掛けたり首を回して確かめることが出来ないでいた。
「‥それとも、ホラー映画のさつえい(撮影)か?何か??‥」
声の主のそいつは、すっかり廃墟の外壁(そとかべ)に目を奪われている様子で、ぼくの存在に全く気づかないまま近づいて来る。
なんだか嫌な予感がした‥‥

ゴリッ
「いてェ!」 ぼくの左足のふくらはぎ辺りに痛みが走った。そいつが思い切り踏んづけたのだ。

「ぎゃッ!?」 そいつはやっと足元のぼくの存在に気がつき、飛び退(の)きながら短い悲鳴をあげた。

「ヒカリくん!! どうしてこんなとこに!寝てるの?!」
高木セナが、飛び出してしまいそうなくらい目を真ん丸にしてぼくを見ていた。
ぼくはというと思わず起き上がって、踏まれた左足を両手で抱え込んでいた。
「きッ きみこそ! どうしてこんなところに‥‥」そこまで言いかけてぼくは、自分の体が痛みにちゃんと反応して動いていて、声もしっかり出ていることに初めて気がついた。

「君のおかげで‥‥催眠術が解けたみたいだ‥」
「????」
不思議そうにこちらを見ている高木セナにぼくは、足の痛みに引きつった顔で微笑みかけた。


こんなにも早く、やむなく置き去りにして来た高木セナと再び合流できるとは思わなかった。
彼女がここまでやって来た理由を聞いてみると、やはり不思議そうにこう答えた。
「ヒカリくんと別れたあと‥‥とりあえず私、林の中のみんなのところへ戻ろうと思ったの。林の入り口まで行ってみると、林の奥の陰からいきなり、葉子先生が歩いて出て来て、すごくビックリしちゃった! ビックリし過ぎて、声をかけないで思わず隠れちゃった。そしたら葉子先生の後ろから、他のみんなもくっついて出て来て‥‥、それがみんながみんな、いつもと違うどこか変な感じで‥‥、そしてそのままお喋(しゃべ)りひとつしないまま‥葉子先生を先頭に一列になって、芝生広場を横切って行っちゃったの‥‥‥‥」
「それでここまで、後をつけて来たと言う訳か‥」ぼくの言葉に、高木セナはコクリと頷いた。

「ねえヒカリくん、葉子先生は生き返ったの? それとももともと最初から死んでなかったの?」
「あの時は確かに、葉子先生の呼吸は止まっていた。でも‥後で蘇生した可能性はあるかも‥知れない‥‥」ぼくは言葉を濁(にご)した。なぜならぼくは、息を吹き返したにしてはどこか葉子先生の様子が奇妙だと感じたし、何よりも『風太郎先生の身に起こった出来事』を知っていたからだ。

ぼくは警戒の意味を込めて、高木セナにこう言った。
「どうやらこのハルサキ山に棲む魔物は‥ 人を騙(だま)すのが得意みたいだ‥‥‥」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (202)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その八十七

ぼくは、地べたにうつ伏せた体を草に埋(うず)めた状態のまま、焦燥感に苛(さいな)まれていた。
動かせるのは両目の眼球だけで、その他の部分、手足の指一本にすら自分の意思がまったく伝わらない。こうして何もできないでいる間に、巨大迷路廃墟の中に誘い込まれたであろうツジウラ ソノの身には、想像もできない事が降りかかっているに違いない。
「ツジウラ ソノ! いやソラ! ソラだ!!」 さっきから何度、娘の名を叫び続けているのだろう? だが実際には口は開いていないし、声も出ていないのだから、叫んでいることにはならないのだろうが‥。

サク‥ ササ‥ サ‥
どうやったらこんな体の状態が解消されるのか、あれこれと考えを巡らせている時だった。後方の茂みのどこかで、人の気配がした。
ザサ‥ ザササ‥ ザサ‥ ザサ‥ ササササ‥‥
誰かが茂みの中を‥、だんだん‥こちらに近づいて来ている。それも‥、一人ではない‥ようだ。
ぼくは精一杯、耳を欹(そばだ)てる。実際には欹てられていないのかも知れないが‥。

ザササッ‥‥
さっき『風太郎先生』とツジウラ ソノが現れた場所と同じぼくの左後方、丈の高い草で覆われた茂みの陰から、まず一人目が姿を現した。
え???! 眼球だけを動かして、やっとの思いで捉えたその人物は、ぼくの度肝を抜いた。
雑木林の中で息絶えたはずの『葉子先生』だったのである。

そんなバカな!と我が目を疑うぼくをよそに、彼女はゆっくり平然と‥ぼくの左前方へと、真っすぐ巨大迷路廃墟に向かって歩いて行く。たっぷり血が染み込んでどす黒く変色したパーカーの背中が、痛々し気に覗けた。
さらに、彼女の後に続いて来た者達も姿を見せた。フタハとミドリだ。
遅れて、モリオとタスクも出て来た。タスクは捻挫(ねんざ)した足をかばって、モリオが見つけて来た木の棒の杖を不器用に突いていた。つまり、芝生広場南の雑木林の中で避難していた全員が現れたことになる。
葉子先生の息が絶えたと判断したのは大きな間違いで、彼女はただ眠っていただけだったのかも知れない‥と考えてはみたものの、葉子先生の出現はやはり不可解だった。どこかがおかしいのだ。
葉子先生だけではない。フタハもミドリも、タスクやモリオだって、迷路廃墟の外壁(そとかべ)に逆さまに吊るされている幾つもの腹を裂かれた死体は、既に彼ら全員の目に入っているはずだ。ところが彼らは平然としていて、声一つ上げない。仮に吊るされているのが『アトラクション用のリアルな人形』だと勘違いしてしまっても、何らかのリアクションは(女子や特にモリオあたりは)当然あるはずだ。

みんなも‥『催眠術みたいなもの」に‥‥ かかっているのか???
草の上で身動きが出来ないでいるぼくに誰一人気づくことなく、彼らは巨大迷路廃墟のすぐ前まで行き、そこから入口を捜してか外壁伝いに右に歩いて、結局『風太郎先生』ツジウラ ソノと同じ様に角を曲がって、出入り口のある外壁の東側へと姿を消して行った。

くそぉ! 動けぇ! 動けカラダァァ!!
この期(ご)に及んでなす術も無く、気を揉むことしか出来ないぼくだった。

「ひッ ひいィ!」
その時突然、うつ伏せのままのぼくの背後から、誰かが息を吞む声が聞こえて来た。

次回へ続く