悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (205)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その九十

巨大迷路の外壁(そとかべ)と中に張り巡らされた仕切り壁は、全て二メートル以上の高さはあるが、屋根は無いはずである。
中央にそびえる展望櫓(てんぼうやぐら)には屋根があって、それはもちろん、ここに登って周囲の景色を楽しんだり、迷路全体を見下ろしてこの後進むべき順路を確認しながら休憩する場所だからである。櫓から見下ろす迷路には屋根が無いので、通路を行ったり来たりして迷っている利用者たちの姿を面白可笑しく楽しむこともできるのだ。

ところが‥‥、今ぼくと高木セナが覗き込んでいる廃墟の入り口の奥は、空は雲に覆われているとは言ってもまだ日没には早い時刻で、当然自然光が届いているはずだが、何かに遮られているみたいに暗かったのだ。まるで、窓も明かりも無い真っ暗な部屋の中を覗いている様だった。
もしかして外壁にはびこっているツタが、通路を挟んだ壁と壁を渡る様に伸びていって、繁殖した葉と茎で屋根を作り上げ、空の光を遮っているのだろうか? 廃墟に到着した時から窺うことのできた高い位置にある展望櫓にも、すでにかなりのツタが絡みついていて、ここが閉鎖されてから随分と時間が経っているのだから、通路の空間がそういう状態になっていても何ら不思議ではない‥とぼくは思った。

「スマホのアプリを使って、上空からの写真のマップを見れないかな‥‥」
ポツリと呟いたそんなぼくの独り言に、傍らにいる高木セナが「何のこと?」と小首を傾(かし)げた。
ぼくのスマートフォンは、今も背中のリュックの中に入っている。
だが、冷静に考えてみると、なぜか今『自分が身を置いているこの場所と時間』の中で、普段みたいにそんな都合のいい『画像検索』が可能だとは到底思えなかった。
ぼくは結局、リュックからスマホを取り出すのを止めた。


「中に入れば‥‥ 暗がりにも目が慣(な)れてくるはずさ‥」
そう言って、ぼくは高木セナの手を取った。そしてしっかりと、絶対に離さないという思いを込めて繋(つな)いだ。
「行こう!」
ぼくは彼女の手を引いて、いよいよ巨大迷路廃墟の入り口へと足を踏み入れて行った。

幅が1メートル半は優にある通路を、両足の靴底を擦(こす)るみたいに交互に少しずつ前に出して、ぼくが先頭になって歩を進めた。高木セナと繋いでいる右手とは反対側の左手を、広げ気味にしてかざして前に突き出していた。前が暗くて見えなくても、ここは通路を仕切る壁だらけの迷路なのだから、前に進んでいればすぐに必ず突き当りの壁があって、突き出している左手がそれに触れるはずである。触れたらその時、右か左のどちらかへ曲がれば良いのだ‥‥‥‥

「‥あれ?‥‥‥ おかしいなあ??」
「どうしたの?ヒカリくん‥」
どうしたわけか、行けども行けども壁に触らない。もう入り口のゲートから、5メートル以上は進んで来ているはずだ。
それに‥目の方も、一向に暗闇に慣れてこないでいた。
「迷路を仕切ってる壁に、ぶつからないんだ。こんなのおかしいよ」
「壁が壊れて‥なくなってるってこと?」
「いや‥ しっかりした木材でできてたから、壊れたり倒れたりしてるほど、木は腐ってないと思うけど‥‥‥」

その時、ある嫌な想像が頭を過(よぎ)った。もしかしたら、この迷路の中を改造したヤツがいるのかも知れないと。そしてその『ヤツ』とはもちろん、ここを隠れ家にしながら辺りに出没を繰り返す『ヒトデナシ』‥‥‥
ぼくは前方に突き出していた左手を引っ込め、その手を今度は右と左に伸ばして手探りし始めた。ここまで進んで来て、当然両側にあると信じて疑いもしなかった通路の壁に、手で触れて確かめようとしたのだ。
だが、いくら手を深く、精一杯差し出してみても、どこまでも空(くう)をさまようだけで、何の手ごたえも返って来なかった。
「入った時は‥‥ 確かにあったのに!?」そう口走ってぼくは振り返り、後ろに寄り添っている高木セナの頭越しに見えるはずの入り口を見やった。

え?‥
ぼくは茫然とした。
迷路の外の自然光を取り込んで、入り口ゲートの形の『長方形』をした『光でできた図形』が、そこにくっきりと‥ 見えているはずだった。
しかしそんなものはもう、どこにも存在しなかった‥‥‥‥‥

次回へ続く

5月31日(金)、不十分で解り難い箇所に手を入れました。ご了承下さい。

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (204)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その八十九

「どうやらこのハルサキ山に棲む魔物は‥ 人を騙(だま)すのが得意みたいだ‥‥‥」

警戒の意味を込めて高木セナに言った言葉を、ぼく自身も噛み締めていた。
ぼくと高木セナの十数メートル前方に存在する巨大迷路の廃墟は、ハルサキ山に棲む魔物『ヒトデナシ』の重要な拠点(きょてん)であることは間違いなさそうだ。
連れ戻すつもりだったツジウラ ソノや他の大切な仲間達がみんな、導かれる様に中に消えてしまったのなら、ぼく達がこのままここで手をこまねいていられるわけがなかった。

「あそこに見える廃墟は‥‥ この辺り全体がフィールドアスレチックの施設だった頃に建てられた『巨大迷路』なんだ。ぼくはこれから、中へ乗り込もうと思うけど、君もついて来るかい?」
さっきからついつい目が行ってしまうという感じで、廃墟の外壁(そとかべ)に吊るされている腹を裂かれた死体を不思議そうに眺め続けている高木セナに、ぼくは問いかけた。おそらく彼女は、それらの死体がすべて作り物ではない事に、未だピンと来ていないらしかった。
「つまりあの中には『ヒトデナシ』という魔物がいて、ぼく達を待ち構えているかも知れない‥‥。あんな風に、腹を切り裂いて逆さまに吊るすためにね‥‥‥」
「‥‥‥‥ ・‥ ・‥」 平静に見えていた高木セナの体が、僅かに震え出すのが分かった。彼女が、睨(にら)みつける様な視線をぼくに向けた。
「平気。平気よ。わたしは殺されはしないもの。 ヒカリくんも同じ。わたしとヒカリくんが殺される運命にあるのなら、とっくにわたしが『夢』を見てるはずだもの」
「あ! ああ‥」予想もしない高木セナの頼もしい言葉に、ぼくは驚いた。
「だってそうでしょ? 自分が死んだり、大切な人が死んだりする一番知りたいことが出て来ない『夢』だったんなら、最初からそんなものいらない!」
「そっ そうだな!」ぼくは素直に感動していた。特に彼女が、ぼくを『大切な人』と呼んでくれたことに、心が揺さ振られた。

「行こう。みんなを、連れ戻すんだ」

ぼくと高木セナは、巨大迷路の廃墟に向かって歩き出した。西側の外壁を左手にして歩を進め、南側へと角(かど)を回り込んで行った。
「あった。あそこだ」 予想通り、南側の中央に外壁が途切れている部分がすぐに見つかった。巨大迷路の唯一の出入り口である。
壁面にはびこっているツタが、その周辺部だけ不自然に後退していた。何者かがこの廃墟に出入りを繰り返している紛れもない証(あかし)だ。中央を壁一枚で仕切って、左側の入り口と右側の出口を分けただけの造りの出入り口であるが、おそらくこの施設が閉鎖された際、受付係員か待機していた小屋や看板、タイムアタックの時間をカードに記録する機器などが撤去されたのと同時に、何枚かのしっかりした板が全面に打ちつけられることで密閉されたはずである。その板が入り口の方は全部、出口の方は上三分の一が剥がれ、草の地面の上に無造作に落ちていた。釘の大きさや板の頑丈さを観察してみたが、それらが自然に剥がれ落ちたとは到底考えられないものだった。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
ぼくと高木セナはしばらくの間、入り口の奥の暗がりに『蟠(わだかま)る様に存在する闇』を、押し黙ったまま‥覗き込んでいた‥‥‥‥‥

次回へ続く