第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その四十六
最初に「木に登ろう‥」と言い出したのは、実は、背中に傷を負っている葉子先生だったそうだ。
それはもちろん、『ヒトデナシ』の突然の出現から取り敢(あ)えず身を守るためでもあったが、もう一つ、できるだけ高い所から芝生広場を見渡し、どこで何が起こっているのかを把握するという目的もあった。
それだけ芝生広場のあちらこちらから『子供の声色(こわいろ)を使った奇妙な声』が聞こえて来ていたし、いたる所で微かに『何かが蠢(うごめ)いている不可思議な気配』がしていた。
「今は‥‥下手に動かない方がいい」と、葉子先生は、傍らにいたフタハとミドリに言い聞かせた。「私達が今相手にしている『ヒトデナシ』は、もしかしたら本当に『人(ひと)ではないもの』なのかも知れない‥‥‥‥」
林の中の道を急いで戻り、やっとこさ雑木林を抜けて芝生広場に足を踏み出そうとしたモリオとツジウラ ソノの二人であったが、突然どこからともなく聞こえて来た囁(ささや)き声に、思わず背筋を凍らせた。
「止まって‥‥ 行っては ダメ‥‥‥」
「なッ‥何だ?」顔を強張らせて辺りを見回すモリオ。ツジウラ ソノは警戒して、その場に身構えている。
「ここ‥ ここよ‥‥」と囁く声は続けた。
「どこだ???」ふたりして、首を巡らす‥‥‥‥
「あっ!あそこ!」ツジウラ ソノが、たった今後にして来たばかりの背後の雑木林、その中の一本のクヌギの木を指差した。振り向いてモリオも見る。仰ぎ見る。
大きなクヌギの木の上である。茂らせた葉を搔き分けて、人の顔が覗いていた。
「葉子先生!!」ふたりは叫んだ。
木の上にいた葉子先生は人差し指を唇に当て、モリオとツジウラ ソノに大声を出さない様にサインを送って来た。葉と葉の間からフタハとミドリも顔を出し、ふたりに戻って来いと手招きしていた。
「葉子先生の説明で木の上にいた理由が分かって、その後私たちも木に登って隠れたの‥‥‥」ツジウラ ソノが言った。
「そうして広場の様子をそこからずうっと見てて‥‥、だいぶたってからだったな、おまえがひょっこり現れたのは。こっちに向かって歩いて来るのが見えたってわけだよ‥‥」と、最後にモリオがぼくの顔を見ながらそう言って、『ぼくが芝生広場から離れていた間の出来事』をみんなして語り終えたのだった。
ぼくは、自分だけが知っている情報と相(あい)まって、改めて『ヒトデナシ』の得体の知れなさを感じ取り、それゆえに生じる事態の深刻さを‥‥‥思った。
次回へ続く