悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (104)

第三夜〇流星群の夜 その十八

運命‥‥を感じていた。

彼女は、謎の病によって、時を置かず石の様に硬くなってしまうのだろう。僕はその瞬間に彼女の傍にいて、彼女を見守る事となるだろう‥‥‥‥。
もし、今朝自分の部屋で体験した『掛け時計の秒針の奇妙な動き』が病の初期症状だったとしたら‥‥、僕にもやがてはっきりとした自覚症状が顕れて、それほど彼女と時を違(たが)う事なく彼女の後を追ってやはり石の様に硬くなっていくのかも知れない。
実際、おかしな事はここへ来る途中にもあった。
二人で会う約束をしたこの郊外の丘は、彼女の家からは程近かったが、僕の家からは電車で四つ先の駅のさらに暫く徒歩で上った場所にあった。久しぶりに彼女に会える嬉しさから随分と早めに家を出て、駅のホームで電車の到着を待っていた。電車は、やはり「謎の病」の影響で運行状況が徐々に変わっていき、その本数は本来の半分程度まで減らされていた。
やがて電車が到着して、ホーム側の全てのドアが音を立てて一斉に開いた。数人の降車する客をかわして、乗り込もうと足元を確かめながら一歩足を踏み出した次の瞬間だった。「えっ??」
僕の目の前の、今確かに開いていたドアが、なぜかピタリと閉まっていたのだ。呆気(あっけ)にとられた僕をよそに、電車はそのままモーター音を響かせて動き出し、走り去っていった。
ホームに残された僕は当惑していた。一体全体、何が起こったと言うのだ?足元を確かめるために視線を下げた一瞬の間に、ドアは閉まったのか?それも、微かな音も立てずに‥‥‥‥‥‥
僕は、ホームのベンチに座り込んでいた。今起こった事の深刻さを推し量っていた。どう考えても、自分自身の知覚に生じた問題に思えたからだ。ほんの僅かな時間、意識の無い状態に陥(おちい)っていた感じだ。もしかしたら、脳に異常があるのかも知れないなどと、あれこれと考え込んでしまった。だがその時点では、「謎の病」と関連づける事はしなかった。謎の病の、世の中で叫ばれている症状は、徐々に大きくなっていく「けん怠感」だと信じていたからだ。おかしな言い方だがそれは、石の様に硬くなって死んでしまう病の症状として極めて相応(ふさわ)しく、イメージし易いものだったのだ。
十五分後に次の電車がやって来た。今度は何の支障もなく、無事に乗り込む事ができた。
電車が走り出した後もやはりあれこれ考えていたが、結局答えを出せないまま目的の駅に到着してしまった。

「どうやら僕も、『メデューサの首』と目が合ってしまった‥‥らしい」
「え‥‥」僕の突然の言葉に彼女は、肩にもたせかけていた首を起こし、僕をまじまじと見つめた。「それって‥‥あなたも病にかかってるって‥こと?」
「ああ。君の父さんの考えを聞かせてもらったおかげで、自覚できた気がする」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」彼女は複雑な表情を浮かべた。
「少しくらいの差はあるだろうけど‥‥・、僕らは一緒に硬くなっていって、一緒に時間が止まっていくんだ。それって、うれしくないかい?」
「‥‥‥‥‥‥‥うん」彼女の目から、ひとすじ、ふたすじと涙がこぼれた。

「君との運命を‥‥感じるよ」

次回へ続く   

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (103)

第三夜〇流星群の夜 その十七

「私‥・これまでに何度も、このまま時間が止まればいいと思ったことがあるの‥‥‥‥」
満天の星を仰ぎ見ながら、唐突に彼女が言った。

「すごく楽しかったり、幸せを感じる瞬間て‥あっと言う間に通り過ぎて行くでしょ。ずっとこのままでいたい、いさせてって願っても、夢から覚めるみたいに必ず終わってしまう。だからしょうがないから、またそんなすてきな瞬間がやって来ないかなあと待ち焦がれることになるの。でも次にそれがやって来るまでには大抵、単調で退屈な毎日を際限のないくらいやり過ごさなければならないのよ‥‥‥‥‥‥」
確かにその通りだと、僕は頷(うなず)いて見せた。
「でも今はそんな‥‥単調で退屈だった毎日もなかなか味わえなくなってしまった‥‥‥‥」
星空から視線を戻し今度は彼女が頷いた。そして真っすぐ僕の顔を見つめた。
「実際に時間が止まるのなら、そんなことが本当に起こるのなら、せめて自分が望んで選択した瞬間で止まってほしい、そう思ったの。だからあなたに電話した。あなたに会うことを決めたのよ」
彼女の、思いのつまった言葉と、迷いのない視線。僕はそれらを、精一杯、真正面から受け止めていた。

彼女の肩ごしに星が一つ流れた。
「今夜君と会った時から‥‥‥そんな気がしてた。確かな症状が‥あるんだね」僕は出来うる限り平静を装って、彼女に質問した。「いつからなんだい?」
「‥一昨日(おととい)の夜あたりから‥‥‥‥。知らない間に、時間が経っていることが何回かあったの。5分とか10分とか‥。最近ぼーっとしてることが多かったから気にも留めなかったんだけど、昨日になって体がだんだんと重たくなっている感じがしてきて‥‥‥‥‥」
「けん怠感‥‥か」
「私‥、お母さんが疲れが出てくるみたいにだんだん硬くなっていくのを見ていたから、それと同(おんな)じなんだと分かる。もうすぐきっと‥‥‥ちゃんと喋ったり動いたり、できなくなると思う」
「‥‥そうか‥‥‥‥‥‥」僕は思わず彼女の肩に手を回した。思わず、引き寄せていた。
「ありがとう。私のわがままに付き合ってくれて‥‥・」彼女は僕の肩に静かに頭をもたせ掛け、小さな声で言った。

彼女をこんなに愛おしく感じた事は今まで無かっただろう。彼女のこの華奢(きゃしゃ)な体が、石の様に硬くなっていくのかと考えると、込み上げてくるものがあった。
と‥・、その愛おしい感情とは混在しない別の冷静な感情がどこかにあって、頭の中に一つの映像を鮮明に浮かび上がらせていた。それは今朝の自分の部屋での出来事。壁の掛け時計の秒針が、十二秒ほどの範囲を一秒ほどの感覚の間に一気に通り過ぎていった光景‥‥‥‥‥‥‥

もしかしたらあれは錯覚でも何でもなくて、紛れもなく「謎の病」の症状の始まりだったのかも知れない‥‥‥‥。
彼女から聞いた、謎の病に対しての彼女の父親の考察は、僕にその事を自覚させるだけの真実味を持っていた。

次回へ続く