悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (52)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その三十七

「いい考えがあるよ!」彼ら子供たちの一人が手を挙げた。

胸が絞めつけられる様な委員長の姿を前に、何もできないでいる俺。彼女を救う何の手立ても思いつけない俺をよそに、彼らが動き出した。
俺を映すのに使っていた姿見の鏡をふたたび持ち出してきて、へたり込んでうなだれたままでいる委員長の左側にその四枚全部を連ねて並べた。
「今度は‥‥何をするつもりなんだ?」嫌な予感がして俺はすかさず問い質した。
「あの子には、もっともっと涙を流してもらうんだ」「そうすれば、もっともっと小さくなって‥」「最後には消えてなくなるかもしれない‥‥‥」
「いいだろ?その方が」「あの子が消えてなくなった方がいいだろ?」
俺は閉口した。
彼らの意に添わぬ者への排斥感情は、ひたすら純粋だった。
自分自身もかつては彼らと同じ「危うい純粋さ」を振りかざして行動していた事を空恐ろしく思った。

止める間もなかった。彼らの一人が委員長に近づいて行き、肩を軽く叩く。
「ねえねえ‥見てごらんよ。鏡があるよ。ねえったら‥」
それまでまるで時が止まったみたいにうなだれたまま動かなかった委員長の体が、ビクッと震えた。そしてゆっくりと顔を上げる。
「ほうら、こっちこっち」鏡を支えている子たちが声を掛ける。
委員長の虚ろな目が‥肩に触れた子を見上げ、そして首を斜めに傾(かし)げて鏡の方を見た。
「ほうら見て。映ってるよ」一人が言った。
「ほうら見て。全部映ってるよ」もう一人が言った。
委員長の目に僅かに感情的な光が宿り、立ち並んでいる鏡に視線が定まった。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
委員長は、これまでに自分の身に起こった事を再認識しているのだろう、鏡に映るその姿をただ無言で見つめていた。

「しっかり見て。何もかも映ってるよ」別の一人が言った。
「そう、何もかも‥‥」さらに別の一人。「その見っともない頭の‥‥‥‥‥」

「丸いハゲも!

言葉の最後は彼ら全員が見事に声を揃えた。そしてリズムをつけた中傷の二文字が教室に響き渡っていった。
「ハーゲ!」「ハーゲ!」「ハーゲ!」「ハーゲ!」「ハーゲ!」「ハーゲ!」
委員長の顔が悲痛の色に染まり、歪んでいくのが分かった。真一文字に結ばれた口元にぐっと力が込められ、見開かれた二つの眼(まなこ)から見る見る涙が溢れ出し頬を伝って落ちた。
一切泣き声を上げないし、しゃくり上げる事すらしない。ただ涙だけがとめどなく溢れ、そして落ちていく。

「ああ‥‥」俺は呻(うめ)いた。
あの時の委員長だ。あの時の委員長が目の前にいる。
堪(こら)えて、ひたすら堪えて、悲しみが去るのを待っている‥‥‥‥。
彼女は自分自身の内にある何かを守ろうとしているのだと、その時初めて気がついた。それがプライドなのか、彼女の生い立ちに関係する戒(いまし)めなのか、俺には分からない。しかし健気(けなげ)で真っすぐな彼女の心根だけが痛いほど伝わってきて、ただただ辛い。いたたまれない。
両足が震えた。固く握りしめた拳が汗でびしょびしょに濡れていた。この場から逃げ出したいが、それは絶対にできない。やり直すんだ。やり直すために今ここにいる。そうだろう!‥‥‥‥‥‥‥‥‥

いいんちょう!」
俺は叫んでいた。

声を出せ!声を出して泣くんだ!ありったけの、声を出して泣いてくれ!」

次回へ続く