第一夜〇タイムカプセルの夜 その三十四
やめろぉ!やめるんだ!
俺は叫んだつもりだった。しかし、傷の痛みを堪(こら)えて歯を食いしばっていたため、口は動いていなかったし声も出ていなかった。
委員長の髪が引っ張られた。スカートが引っ張られ、ブラウスの袖が引っ張られた。
委員長の首が傾き、体が傾き、取り囲んでいた「彼ら」子供たちの中に飲み込まれる様に見えなくなった。
たくさんの鋏(はさみ)が、たくさんの何かを断ち切る音が響き出した。
「やめろォォ‼」たまらず叫んだ今度の声はちゃんと出ていた。
「何あわててるの?」「落ち着きなよ」「あの子は君を困らせてたじゃないか‥‥」
いつの間にか俺の周囲にも彼らがやって来ていて、椅子の上で膝を抱えて虫の攻撃と痛みを耐えている俺の顔をみんなで覗き込んでいた。
「さあ‥その虫たちを取ってしまおう」彼らは手に手に太めのペン状のものを掲げた。それは‥‥丸刀、平刀、三角刀‥‥・様々な刃先を持つ彫刻刀であった。
「虫たちを、噛みついている傷ごと、まわりの肉ごと全部削ぎ落としてしまえば、すぐに元気になるよ。また前みたいに元気で遊べるよ」
何を言ってるんだ??‥そう思った。
俺がそう思っている間に彼らはすでに動きだしていて、それぞれの彫刻刀を振りかざし構えた。
「ほっ本気なのか?おい?おい!冗談じゃないぞ!おい!」
俺は椅子の上から身を沈めて逃げようとしたが、なぜか体が動かなかった。手も足も固く力を入れた状態のままでピクリとも反応しない。長い間力を入れ過ぎて体の感覚が麻痺(まひ)してしまったのか????このままではされるがままではないか!焦った俺は何回も瞬きをし、彼らを止めようと堪(たま)らず声を上げた。
「おまえら‼」
しかしその声が上がった瞬間にはもう、体のいたるところに彫刻刀の鋭い刃が突き立てられていた。
ぞぞぞぞぞぞぞぞおおおーーーーおぉぉ
肉を削ぐ音が独特の振動と共に耳の奥まで伝わって来た。今までとは比較にならない痛みが全身を貫いた。
絶叫(ぜっきょう)。絶叫。絶叫。否、絶叫していない。絶叫出来ていない。顔にも首にも虫が食らい付いていたというのか、彼らは俺の喉(のど)と右頬(みぎほほ)に彫刻刀の刃を突き刺し、叫ぶために必要な一連の動作をする能力を俺から奪い去っていたからだ。
頬に刺さった刃は口の中まで物の見事に貫通していて、刃先が舌に当たった。
血の味、血の臭い、血のぬめり。それは決して口の中だけで感じているのでは無く、俺の全身から立ち昇る血けむりに自ら包まれていく感触であっただろう。
正常では到底受け止め切れない絶望的な痛みの中‥‥しだいに意識が混濁していく‥‥‥。
俺はこのまま‥‥‥きっとこのまま‥‥‥‥‥‥
その刹那(せつな)、フラッシュバックの様に頭に浮かんだ映像があった。
大量発生したイナゴの大群が、緑の草原を見る見るうちに死の荒野に変えていく光景‥‥‥‥‥
次に浮かんだのは、流れて渦巻く黒い雲‥‥‥‥
違う、雲ではない、鳥だ。野生化して大繁殖したセキセイインコの群れが、夕暮れの空を一斉に飛翔しているのだ。
そして最後に浮かんだのは、記憶にある一枚の絵。あるいは複数の絵の部分部分が一枚に寄せ集まったものかもしれない‥‥‥‥
「ブリューゲルの絵画」に違いない。それは分かった。
その一枚が、「マイム・マイム」の曲に合わせてざわざわと‥‥蠢(うごめ)き出した‥‥‥‥‥‥
俺の意識は‥‥‥ホワイトアウト‥した。
次回へ続く