最終話「夕暮れ」 その八
中途半端な知識、安易な認識からくる考察かもしれませが、自分なりに、「三島由紀夫」について記してみたいと思います。
三島氏の作品を、前述の事件を意識しつつ読んだのは、主に大学に入りたての頃だったと記憶しています。
自分自身が大学生になって、60年代後半の大学紛争でのバリケード封鎖や休講、ヘルメット、角棒、機動隊や放水車などとはもはや無縁であると知った時、逆に当時の同世代の事を詳しく知りたくなったのを覚えています。
「当時の大学生は、今の自分達と比べて随分大人だったのだなぁ・・」と思ったものです。
本は、何の脈略もないチョイスで、でたらめに読んでいました。
強いて言えば、安価で薄い文庫本で、新潮文庫などは三百円台で手に入りました。
三島由紀夫の新潮文庫の背表紙の色は橙色で、大江健三郎が茶色でした。
今現在、どんどん長編化して行く傾向の村上春樹氏の初期作品「風の歌を聴け」も、文庫化された時、薄くて安かったので買いました。
ただどういうわけか、文学史で紹介される様な所謂「作家の代表作」は、なるべく読まない事にしていました。きっと、「想定外の出会い」をしたかったからなのかも知れません。
三島氏ののエッセイ「行動学入門」は、「pocketパンチOh!(平凡パンチの増刊?)」に69年から70年にかけて連載され、事件直前の10月に単行本が刊行されたもので、私は時を経てから文庫本で読みました。
「行動」について、三島氏自身の体験を交えながら、その意味や分析などに考えが巡らされていて、確か、国際反戦デーの「新宿騒乱」を見物する三島氏の様子も描かれていたと思います。
以前、「三島氏の進んだ道の道標の一つ」と表現したこの本ですが、行動する事の困難さが語られている気がして、連載時すでに事件の計画が氏の脳裏にあったかもしれないと考えると、とても興味深い作品です。
今、すでに手元に本がないのではっきり確認はできませんが、「刀が抜かれる時、それが威嚇を目的とする為だけに抜かれたものであるなら、その行動は失敗に終わる」と言う暗示的な記述があった気がします。
次回へ続く