ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (49)

最終話「夕暮れ」 その九
タイトルは思い出せませんが、70年代後半に読んだ横尾忠則氏のエッセイの一冊に、三島由紀夫氏や美輪明宏さん(当時は丸山明宏)が登場します。
魂を揺さぶる声、歌声は今も健在の美輪明宏さんですが、この時興味を覚えてから、美輪さんがお出になる対談やトーク番組は好んで観る様になりました。
美輪さんが、交友のあった三島氏とのエピソードを語る事もしばしばで、(ちなみに
江戸川乱歩の「黒蜥蜴」を美輪さんが舞台で演じた時、その脚本を三島氏が書いた事は、ご存知の方も多いでしょう)印象に残っているものをいくつかご紹介しましょう。

三島氏が美輪さんのお店に来られた時の事だったのか・・現れた三島氏が、服に着られている風に見えた美輪さんは、彼の服を手探りしながら、「どこ?三島さんはどこにいるの?」と、からかったそうです。
コンプレックスを指摘された形となって、機嫌を悪くした三島氏は帰ってしまい、この事がきっかけとなったのか、以降三島氏は、ボディビルで体を鍛え始めたと言います。
己の心と体の脆弱さを克服するべく、美しい肉体を手に入れる事は、その後の三島氏の行動に変化をもたらすものだったかもしれません。
鍛えられた肉体は、俳優として主演した映画の中で、あるいはモデルとなった写真集で披露されました。

もう一つはオカルト的なお話で、ある集まりの席で美輪さんが、三島氏の背後に「軍服を着た男の人が見える」と指摘します。三島氏がそれは誰かと問うと、美輪さんは、「心当たりのある名前を挙げてみなさい、当たっていたら消えるから」と返します。三島氏が何人かの名前を言っていき、「・・磯部か?」と呟いた時、美輪さんが反応し「それ、その人!」と答えたそうです。
三島氏は動揺します。「磯部」とは、二・二六事件の反乱軍の首謀者の一人「磯部浅一」の事で、事件後処刑された人物です。
三島氏が学習院初等科に在学中、二・二六事件は起こりました。氏はこの事件を題材にした作品をいくつか、すでに書き上げていました。
「憂国」はそれで、私が「三島氏の進んだ道を辿ってみる時の道標」の一つではないかと考えている小説です。

次回へ続く

ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (48)

最終話「夕暮れ」 その八
中途半端な知識、安易な認識からくる考察かもしれませが、自分なりに、「三島由紀夫」について記してみたいと思います。

三島氏の作品を、前述の事件を意識しつつ読んだのは、主に大学に入りたての頃だったと記憶しています。
自分自身が大学生になって、60年代後半の大学紛争でのバリケード封鎖や休講、ヘルメット、角棒、機動隊や放水車などとはもはや無縁であると知った時、逆に当時の同世代の事を詳しく知りたくなったのを覚えています。
「当時の大学生は、今の自分達と比べて随分大人だったのだなぁ・・」と思ったものです。

本は、何の脈略もないチョイスで、でたらめに読んでいました。
強いて言えば、安価で薄い文庫本で、新潮文庫などは三百円台で手に入りました。
三島由紀夫の新潮文庫の背表紙の色は橙色で、大江健三郎が茶色でした。
今現在、どんどん長編化して行く傾向の村上春樹氏の初期作品「風の歌を聴け」も、文庫化された時、薄くて安かったので買いました。
ただどういうわけか、文学史で紹介される様な所謂「作家の代表作」は、なるべく読まない事にしていました。きっと、「想定外の出会い」をしたかったからなのかも知れません。

三島氏ののエッセイ「行動学入門」は、「pocketパンチOh!(平凡パンチの増刊?)」に69年から70年にかけて連載され、事件直前の10月に単行本が刊行されたもので、私は時を経てから文庫本で読みました。
「行動」について、三島氏自身の体験を交えながら、その意味や分析などに考えが巡らされていて、確か、国際反戦デーの「新宿騒乱」を見物する三島氏の様子も描かれていたと思います。
以前、「三島氏の進んだ道の道標の一つ」と表現したこの本ですが、行動する事の困難さが語られている気がして、連載時すでに事件の計画が氏の脳裏にあったかもしれないと考えると、とても興味深い作品です。

今、すでに手元に本がないのではっきり確認はできませんが、「刀が抜かれる時、それが威嚇を目的とする為だけに抜かれたものであるなら、その行動は失敗に終わる」と言う暗示的な記述があった気がします。

次回へ続く