第五話「月の石」 その三
1970年の夏休み、小学六年生の私は「大阪万博」を体験しました。
「EXPO’70」の文字と桜の花をデザインしたシンボルマークがいたるところに踊っていました。テーマは「人類の進歩と調和」。参加77ヵ国。
前年、GNPが西ドイツを抜いて世界第2位となった日本の、1964年東京オリンピック以来のまさに一大イベントでした。
私は隣県であるという地の利を活かし、大阪の親戚の家に二泊させていただきそこから会場へ通いました。
開幕からすでに四ヶ月余り、どのパビリオンが人気なのか情報は得ていました。ちなみにパビリオンと言うのは展示施設のことで、参加国それぞれの「国際館」と日本国内の各企業が出展した「企業館」がありました。
一日目、移動の時間もあったので会場に入ったのは夕方でした。私と両親は(もちろん一人ではありません。中学生の兄はというと修学旅行で既に体験済みで同行しませんでした。)、いくらか収まりかけた暑さの中、やはりピークは過ぎて収まりかけているであろうたくさんの観客の中を移動します。
「お祭り広場」があり「太陽の塔」が立っています。色とりどり多種多様な建物(パビリオン)。私は明らかに興奮していました。全てのモノを見渡していましたが、その全てにピントが合っていない感じでした。情報量があまりに多くて脳が処理しきれなかったのかもしれません。
「未来の街や‥‥‥」と本気でそう呟きました。
その日観る事ができたパビリオンは二つ。「日立グループ館」と「みどり館」で、いずれも日中なら長い行列ができる評判の企業館でした。
二館は割と近くに立ち、色形はまるで違うのですが、なぜか両方とも「ウルトラセブン」に出てきた侵略者の宇宙船のようだと思いました。
次回へ続く