この作品は2013年ホーム社新耳袋冬号に掲載されました。
月: 2018年12月
ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (30)
第五話「月の石」 その二
1964年東京オリンピック開催の時、実は私はまだ小学生ではありませんでした。
しかし、大会は戦後復興を果たした日本がその存在を世界に示した一大イベントだったわけで、終了後もしばらく私達は「東京オリンピック」の影響下にいたのです。
小学校へ上がる前の年の大会の記憶は確かにあります。
東京で観戦できたのは一部の幸運な人達だけだったと思います。
ほとんどはテレビ中継での観戦。もちろん白黒で、カラーテレビの普及はもっとずっと後だったようです。
女子バレーボールで、旧ソ連を下し優勝した日本チームの映像や、父が、雑誌の綴込み付録の「日本人出場選手と競技種目の全リストの星取り表」を壁に貼り、競技が進んで行くごとにチェックしていたのを覚えています。
そして1965年小学校へ入学した年です。私自身が「一番のオリンピック体験」だったと今も考えている、市川崑監督の映画「東京オリンピック」を観ることになるのです。
映画「東京オリンピック」は、怪獣映画などを除いて本当の意味での私の「初めての映画体験」でもあったと思います。
当時はまだどんな小さな町にも必ず一館映画館があり(テレビの普及前、映画は娯楽の花形だった)、小学校の全校生徒が学年ごとに代わる代わる映画館に足を運び、二時間以上はあったこの映画を鑑賞しました。
映画は、オリンピックスタジアム(旧国立競技場)建設予定地の建物を取り壊すところから始まったと記憶しています。大きなスクリーンと音、フルカラーで繰り広げられるドキュメントは、芸術的とも言える巧みな演出とも相まって幼い私をもたちまち虜(とりこ)にしたのです。
時は下り、高校生になってS市の映画館で観た「犬神家の一族」は、私に、漫画家になってその漫画制作に多大な影響を及ぼす事となるわけですが、その映画が「東京オリンピック」と同じ市川崑監督の作品だったと知るのはずっと後になってからでした。
次回へ続く