自分の描いた作品が商業誌で評価され、賞金や立派な盾(受賞作のトビラ絵がロゴ付きで印刷されてました)をいただき、デビューを夢見ない若者はいません。
上京する者もいたし、編集者の紹介で作家先生のアシスタントに入る者もいました。
私はまだ学生だったのですぐに次の作品に取りかかり、週刊ヤングジャンプ半期に一度の漫画賞、名だたる先生方が選考委員をされる「青年漫画大賞」に応募する事となります。
描き上げたのは「青く塗りつぶせ !!」という大真面目な青春群像劇で、まったくと言っていいほどホラーやサスペンスの要素がないものでした。
しかし最終選考までは残ったもののあえなく選外。
がっかりはしたし挫折と言えば挫折なのですが、当時の私は「それなら次はもっと良い作品を描いて見せる」というように自分の可能性をしっかりと信じていた気がします。
数ヶ月後には次の作品を完成させ再び週刊ヤングジャンプ月例賞に応募していました。
突然の両親の事故死で親せきに預けられ、それまで疑いもなく目標としてきたエリートコースの道を絶たれた少年(小学生)の悲劇を描いた作品で、これは紛れもなくサイコホラーでした。
作品タイトルは「歪(ひず)みの構図」。やはり再び1983年5月期の月例ヤングジャンプ新人賞佳作をいただきます。お気づきの方もいらっしゃると思いますが、ペンネームがひらがな表記になっています。
間髪を入れず私は次の作品にとりかかります。
「俺の岬」というタイトルの、小さな海辺の村で祖母と二人暮らし未来に絶望している少年と会社の金を横領し東京から逃亡してきた女事務員との出会いと別れを描いたきわめて文学的な?作品で、これも月例賞に出そうとしたところ、当時の副編集長に「もう賞に出さなくていいから、今まで描いた作品のどれかを掲載するから」と言われました。
そのような経緯で掲載が決定した私のデビュー作が「歪みの構図」です。